酸っぱいコーヒーとMさんの話

iPhoneの充電のことを考えるといつも同じようなところに長く居座ってしまう。マクドナルド、イタリアントマト、スターバックスエクセルシオールカフェ等。

携帯充電器はコンビニで当時焦って買ったもののせいか、薄情にも2年とちょっとで、まるで私の機嫌がいい時だけ使わせてあげるわと言う気まぐれで迷惑な年上の女のように電源がついたりつかなかったりするようになった。

そんなわけで今はマクドナルドで100円のコーヒーを飲んでいる。

ところで私はコーヒーの味のよしあしが分からない。ただ酸っぱいコーヒーは嫌い、という以外は、深みがあるとかプロが入れたとかそう言う違いにはまったく気がつくことのできない安い女だ。熱くて苦ければそれでいいと思っている。

酸っぱいのが嫌いというのも、以前のバイト先で機械に残ったぬるいコーヒーを飲む習慣があり、それが時間が経ったせいで酸化して酸っぱくてぬるく、あまり美味しくなかったのを思い出すからだった。

バイトの先輩だった芸術家のMさんはそのぬるくなったコーヒーをレンジで温めなおしてミルクを3つ入れて飲んでおり、おいしいよ~と笑う拘りのない人でその大ざっぱで角のないところが好きだった。

Mさんは家で猫を5匹も飼っていて、たまにドン・キホーテに猫草を買いに行く!という決意を聞かせてくれたり、引っ掻かれた傷を見せてくれたりした。

私とはお母さんと娘のように歳が離れているけれど、すぐにMさんとは打ち解けて話をするようになった。

Mさんはバイト終わりから朝までやっていた賭け麻雀で負けたときは私たち大学生よりも悔しそうにテーブルを叩き、カフェで久しぶりにランチをした時も笑い声がうるさすぎて追い出されたりするような無邪気で楽しい人だ。

そんなMさんのことが私は大好きで、年に何回かあるMさんの作品の展示にバイトをやめた今でも見に行く。Mさんの絵は抽象画で、水をテーマにしているものだと教えてくれた。

私には美術の知識がないので恥ずかしくて本人に感想を伝えることはできなかったけれど、Mさんの絵は水色や穏やかな青や紫のグラデーションの間にはっきりとしたひこうき雲のような白が入ってくる、Mさんの優しさや包容力のある雰囲気の中に芸術家としての道を選んだような芯のある部分が描かれているように思えたのだ。

ぬるいコーヒーを飲むとMさんを思い出す。

いつか一戸建てをたてたら、Mさんの絵を玄関に飾りたいなと思う。